「適応障害」での休職期間はどんなことをした?

適応障害での休職期間

人生4社目の入社1ヶ月目で適応障害を発症してしまい、休職をしたよっしーが休職までと
休職中にどんなことをしたのか、どんな苦しみがあったかを記事にします。

休職までに…

病欠の連絡

これまでのよっしーのこころの病気については、
こちら(よっしーのこころの病気とは?)をご覧ください。

私がついに動けなくなったのは、2017年3月29日。
もうこの日の前日から体調が悪く一睡もできませんでした。
これまで祖父が亡くなったときしか仕事を休んだことがなかった私にとって、病欠というのはすごくハードルが高いものです。

朝、同僚へ電話を入れます。
「すみません、部屋は出たのですがめまいで動けません。休みます。すみません。」

「分かりました。必ず病院へ行ってくださいね。」

「はい、分かりました…。」

その後、近所の内科を受診、血液検査の結果も異常がなかったため、精神的なものでは?とのこと。食事が全く食べられなかったので点滴を打ってもらいに3日間通院しました。

1つめの信じられない心療内科を受診
その後2つめの近所の心療内科を受診します。

会社からの連絡

すでにこちら(よっしーのこころの病気とは?)でも書いていますが、1社目の上司から紹介された会社。めでたく採用が決まったものの、一度辞退しましたが、年末ごろ常務から「もう一度考えてみない?」と連絡があり、入社することにした会社です。

私が病欠したことは、すぐに本社へ連絡が行きます。

すると、取締役・常務・本部長・部長・同僚から連絡が来ました。
私は「ひとまず4月10日ごろまで休ませてもらえませんか?」と伝えます。

精神的にやられていた私にとって、会社からの電話や個人的なLINEは恐怖でしかなく、たった30文字の返信に1時間も時間をかけてしまうほど、精神的に参っていました。
電話の音が鳴るたびに、スマホのアプリになどと付いているのを見るたびに震えるようになっていきます。常にサイレントモードにしていました。

ただし会社として私の休みの原因が「精神的」なものだと分かると、出向先の何がどう問題なのか、すぐには無理だけど出向先を変更しようか、などすごく配慮してくれました。

ただし、ここで問題だったのが、「会社」からの連絡ではなく肩書きの付いた上司「個人」からの連絡です。会社で一人担当者を決めてやりとりすれば良かったのですが、会社的にもそんな余裕はなかったようです。

ついに休職へ…

先生の診断

私を診断した2つめの心療内科の先生は、すぐに「6月末まで3ヶ月の休養を要す」との診断を下し、診断書を書いてくれました。「何も考えずにゆっくりしてみたら?復職のことも考えなくてもいいからね。動けるなら散歩する、日光を浴びる、一日中寝ててもいいよ。」

という優しい言葉でした。

会社への連絡

問題は「3ヶ月もの休養」を会社へ連絡しないといけないことです。

電話ができる状態ではないので、人事部担当へEメールで伝えることにしました。
やはり、何を思っているのか、パソコンで文字が打てない、座っていることさえできない、結局そのメールを打つのに5時間。たった5行のメールです。

本当に情けなく、死にたい気持ちが出始めます。
入社したばかりなのに何をしてるんだろう…前の会社の人にも合わせる顔がない…と。

意を決してメールを送信しました。
送信後すぐに関係者へ転送されたのでしょう、30分もしないうちに個人的に連絡が来ます。
電話、メール、LINE…サイレントモードにしていても私のスマホは常に画面が光っています。

後日、人事部より「診断書」と「休職願」を提出して欲しいと連絡があり、本社へ郵送しました。この時すでに4月5日。その週にはPDFにて「休職承認書」なるものがメールに添付され、翌週には「休職承認書原本」が届きました。

両親へのカミングアウト

もしかしたらこれが一番辛かったかもしれません。
私はなんてダメな子供なんだろう、うまくやることを誓って地元を離れたはず。
それがこんなことに。

3月に三連休がもらえていたので、一度実家へ帰って、過労で辛いことは話していました。
実家へは車で5時間の距離。ですが、運転が好きな私にはそう遠くはありません。

こちらもすごく勇気が必要でしたが、電話することに。
「ごめん、こういう理由で休職することにした。入社したばっかだし、もう戻れないかもしれない。クビになるかもしれない。でも実家に帰るつもりはないんだ。こんな弱い人間でごめん。ホントに。」

両親の反応は意外なものでした。
母「収入もなくなるし、実家に帰ってきたら?3月によっしーと会ったときに、いつもと雰囲気が違うから『今の会社で辛いなら、会社辞めたら?』と言おうと思ってたよ。健康が一番だよ。昔みたいに仕事のことを楽しそうに話すよっしーが好きだな。何よりも輝いて見えたよ。」
父「身体を壊しても会社はお前のこと守らないぞ。相性があるんだ、人と会社には。何を言われても辞めてもいいんだよ。会社もたくさんあるから。」

さすが両親、3月の時点で気付いていたとは…。
両親に休職を言えたことで、少しは気が楽になりました。

休職承認後は…

【4月】毎週月曜日の診察と会社への連絡

4月はとにかく診療日以外は部屋にこもっていました。
朝明るくなったころに寝て、夜は全く眠れません。こればかりはどうしようもありません。

この時の考え方は…
「生きていても仕方がない」
「無職になるのではないか」
「同僚に迷惑をかけたから絶対戻れない」
「もしこのままノコノコと復職したら無視されるハズ」
「今まで慕っていてくれた後輩は何してるかな」
「こんな自分を見せられない」
ということをひたすら考えていました。

もう「涙」。気付いたら「涙」が出ていました。
風呂にも入らない、何も食べたくない、
テレビで笑っているのを見ると無性にイライラする。

一人暮らしなので当然ですが、少しずつ痩せていきました。
誰からも干渉されない分、自由気ままに過ごします。
とはいえ、自由気ままとはかけ離れた生活です。
暑いのか寒いのかも分からない…そんな状態でした。

とにかく昼夜逆転してしまっています。
明るくなると安心して眠れることができる、暗くなると不安で将来のことなどを考えてしまう。毎週診察なのですが、その日によって体調が変化します。
元気な週もあれば、風呂にも入らず診察を受けるような週も。

こんな状態なのに、前職のフライトは順調か、今担当していたフライトは順調か等仕事についてアプリで調べたりする日々は続き、完全に休めている状態ではありませんでした。

一度破壊された心を治すには、こんなにも期間がかかるのかと、再び悩みます。

【5月】2週間に一度の診察と会社からの連絡

調子は相変わらずでしたが、先生から2週間に一度の診察にしましょうと言われました。
少しは良くなってきたと判断されたのでしょうか。
ダラダラしてても仕方ないから復職についても考えてみる?となった一か月でした。

「ところで、先生、お金がないんです…」その相談を先生にしてみました。
そうすると、「自立支援制度」というものがあるよ。やっぱり長引きそうだから、そろそろ申請しようか。会社からは「傷病手当金」の話はまだないの?ということでその制度の存在を知ることになります。

気分が少し落ち着き始めたため、2週間実家へ帰省することに決めました。

会社への連絡、個人的な連絡は相変わらず続きます。

私の場合は6月末までの休職を承認してもらってましたが、
「早くしないと仕事なくなるよ」
「みんなが迷惑してるんだからさ」
「いつまででも甘えていないでもう働けるでしょ」
「俺たちを信じて戻って来いよ」
というLINEが立て続けに入っていました。
5月のゴールデンウィーク明けです。

迷惑をかけているのは本当に感じています。
私自身それについてもかなり悩んでいました。

5月中旬くらいに先生から復職について話がありました。
一度会社に時短勤務で復職できるか確認してみたらということでメールすることに。
私は先生に「時短勤務は100%ないと思います。」と伝えますが…会社からの正式な回答ではないため、会社に必ず確認するように念を押されました。

その後、「復職」と「傷病手当金」について会社に確認します。

回答は…
「よっしーさんの希望するポストはすでに埋まり、営業であればポストは空いています。」
「しかし〇〇市内で残業は月に50時間程度で、時短勤務は一切ございません。」
「傷病手当金については、書類を発送しますので記入して返送してください。」

こんな返信が返ってきました。
〇〇市内というのは、通勤に片道2時間以上かかる場所です。

【6月】会社とのやり取りと自立支援制度申請

以前生活リズムは乱れたままでしたが、5月に2週間ほど実家へ帰省していたこともあり、徐々に落ち着いていきます。

長かった休職期間も6月末までということで、「無事に復職できるだろうか」今度はそんな不安が出てくるようになりました。といいながら、復職はできないだろうという思いもありました。まずは今の私には通勤できない、みんなへ合わせる顔がない。

先生に復職に関して、会社からのメール内容を伝えます。
先生の回答はもちろん「復職不可!」
それに加えて「2017年10月末まで休養期間を延長する。」

会社にこの件を伝えることにしました。

なかなか返信が来なかったため、社内で調整をしていたのでしょう。
会社からの回答は「このまま7月末までに病状が回復せず、復職できない場合『7月末』で『自然退職』とします」とのことでした。

『自然退職?』何それ?と思って調べました。

会社と労働者、いずれの意思による退職ではないもの

会社側が従業員に辞めてほしい場合でもなく、従業員も退職を望んでいない場合だそうです。
この場合退職届も必要ないとのことでした。

時を同じくして「自立支援制度」というものの申請へ行ってきました。
指定した病院・薬局に限り、3割負担から1割負担になるようです。

また傷病手当金の請求も行いました。

【7月】ついに自然退職の月・デイケア見学

相変わらず生活リズムは乱れたままです。
先生から「デイケア」に通ってみようか。同じ病気で悩んでいる人もいるから。眠くて仕方がなかったら寝ててもいいから、見学してみる?と提案がありました。

デイケアとは「復職へ向けたリワークプログラム」で、復職を目的として生活リズムの改善等を図るプログラムとのことです。

実際に見学してみました。
月曜日から金曜日まで、5日とも朝から夕方まで参加されている方や、
木曜日の午後のみ参加されている方もいらっしゃいます。

少人数で溶け込みやすそうな雰囲気でした。

復職を目的とする人が参加するのですが、私自身もう退職が決まっています。
再就職へ向けて参加してみるのもいいということでした。

生活リズムは乱れたままですが、やはりストレス要因から離れたことにより、少しずつではありますが、体調も良くなる日が増えてきました。

自然退職

ついに自然退職の日。特になにもなく訪れました。
すごく迷惑を掛けたので、メールではありますが、退職の挨拶をしました。
こんな私に対して返信をもらえたことが非常に嬉しかったです。

やはり、私が好きな航空業界。
4月の項目でも書きましたが、休職期間ほぼ毎日、前職で担当していたフライトと、就航地の天気のチェック、今担当していたフライトに遅延は発生していないかなどを確認していました。休まないといけないのに…だけどチェックしていると心が落ち着く…すごく矛盾していますが、仕事人間だった私の性なのかもしれません。

これだけの期間なのに、すごくいろんなことを学んだ気がします。

Photo by skeeze / Pixabay

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